2012/03/11

福島第一原発の事故は回避できたのか

仕事で福島原発の事故に関する調査レポートを読んだのですが、原稿で書き切れなかった部分をここで書くことにします。

「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」中間報告 チームH20プロジェクト
福島原子力事故調査 中間報告書 東京電力
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告

上から順に「大前レポート」「東電レポート」「畑村レポート」とします。大前レポートは、大前研一氏が組織した民間調査組織による調査レポートで、08年に電源喪失による炉心溶融の可能性を指摘した(独)原子力発電安全基盤機構のメンバーが参加しています。東電レポートは東電による内部調査、畑村レポートは政府の事故調査・検証委員会による調査です。

これらのレポートを読んで、非常に興味深い記述にも関わらず、メディアがあまり触れようとしない話を中心に述べていくつもりです。

まず大前レポートで興味深かったのは、福島第一だけでなく、福島第二や女川、東通、東海第二など同様に津波に襲われた原発との比較を詳細に行なっている点です。津波の被害に関して、単純に(海面からの)津波の高さではなく、

「海面からの津波の高さ」ー「敷地の高さ」=「原発を襲った津波の実質高さ」

で比較すべきとしています。実質的な高さで言えば、やはり福島第一を襲った津波がもっとも高く、浸水域も広範で、そのために非常用電源をすべて失い、事故に至りました。他の原発については、浸水域が限定的で、直流、交流問わず非常用電源が1基以上生き残っていたので、冷温停止にまで持ち込めたとしています。ただし、福島第一については電源盤が水没して故障したので、非常用電源が生き残っていたとしても救えなかったとしています。つまり、非常用電源だけでなく、電源盤も水没しない高さに設置する、あるいは水密構造にする必要があるということです。

朝日新聞は事故の直後に「地震で原子炉が破壊され、津波が来る前に制御不能に陥っていた」と報じましたが、これは完全なデマでした。もし地震で壊れていたら、中央制御室には異常を知らせる警告信号が返ってくるはずで、それらはログとして残されます。こんなことは後から調べればわかることで、いかにいいかげんな報道をしていたかよくわかります。少なくとも地震に耐えたことは事実です。

もう一つ、非常に興味深い記述がありました。これは3つのレポートすべてに書かれていることですが、大手メディアでこのことに触れている記事はまず見かけません。

テレビ報道等で「今から1000年以上も前の869年に東北地方で起きた貞観地震が再び起きる危険が指摘されていたのに、東電はその対策をしなかったために、事故が起きた」と報じられ、私も鵜呑みにしていたのですが、どうも事情は少々異るようです。

事故の前に、貞観地震の再来を指摘したのは土木学会です。東京大学地震研究所の佐竹健治教授らの指摘を受けて、東電は何もしなかったのかというと、そうではありません。福島第一原発の吉田昌郎所長(事故当時)が東電本社にいた頃に、福島県内で貞観津波の堆積物の調査を行なっているのです。畑村レポートにはこうあります。

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 東京電力は、平成21年11月、福島県に対し、津波堆積物調査についての説明を行い、農閑期である同年12月から平成22年3月までの間、福島県沿岸において、津波堆積物調査を実施した。
 その結果、貞観津波の堆積物が、福島第一原発より10km北方に位置する南相馬市小高区浦尻地区等において発見されたが、福島第一原発より南方では、津波堆積物は発見されなかった。
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不幸にも、福島県の沿岸部を掘り返してみたところ、津波の痕跡はみつかりませんでした。貞観地震の震源地は、今回の大震災の震源地よりもかなり北の方にあったため、福島第一の付近のエリアまで津波は来なかったのです。だから、東電は対策を講じなかったのですが、国の中央防災会議は、「歴史的に繰り返して起きる地震を調査して対策せよ」という方針なので、それに反しているとは言えないことになります。

土木学会の見解では、今回の大震災は震源地の位置からしても、貞観地震の再来ではなく、別の地震だとされています。つまり、1000年どころか、有史以前の、数千年に1回規模の巨大地震だった可能性があるのです。

こういう想定外の地震に対しても対策をすべきだったのかというと、やはりすべきだったのでしょう。日本原子力発電の東海第二原発では、土木学会からの指摘をもとに非常用ディーゼル電源の側壁を4.91mから6.11mに増設していたおかげで、5.4mの津波に襲われても非常用電源2台が生き残って冷温停止に成功しています。今、日本中の原発では、非常用電源をタービン建屋の上や高台に増設し、原子炉建屋を水密構造にし、防潮堤の高さを上げるなどの対策が行なわれていますが、こういった対策を先にやっておけばこんな事故は起きなかったと考えられます。

しかし、こういった「津波の危険性」や「電源喪失で炉心溶融」を指摘したのは、“御用”とか“原子力ムラ”と呼ばれている研究者ばかりだったということも実に興味深い事実です。